パルファミューゼが提案すること・・・それは、薔薇の香りのある暮らしの提案です。
蓬田勝之氏が発見した、薔薇の香り(ティーローズエレメント)は、その香りを嗅ぐことによって、心理・生理作用に効果を与えることが実証されています。
薔薇の香りは、ストレス緩和やスキンケア効果など、現代人にとって日頃忘れがちな「安らぎ」をそっと与えてくれるのです。
私たちは、蓬田氏の長年の研究実績と薔薇の香りのある生活提案を総括し「アロマコロジー」と呼びます。
薔薇の香りは6種類のモダンローズの香りと1種類のオールドローズの香りに分類されます。
朝露に咲いたばかりの、ほのかな美しい香り。蓬田勝之氏は、こうした本物の薔薇の香りを忠実に再現することに成功しました。
そしてパルファミューゼはこれらの美しい香りを商品化することによって、今回はじめて皆さまに「アロマコロジー」をお届けする第一歩を踏み出せることができました。
これからも薔薇の香りのある暮らしの提案を継承し商品化を進めることで、本当の豊かさを感じて頂けたら幸いです。
多治見が生んだ陶画家
日本を代表する陶磁器メーカーであるNoritakeをはじめ、美濃から世界に日本の陶磁器が輸出されました
顧客を目の前にして、作画されるこの芸術は現在において、伝承を途絶えようとしています
国内においては、数名の伝承者のみが持つ技となっています
大坪氏は、富士山や薔薇の作品を多く手掛けられています
平面でさえ高い技術を必要とする陶画
立体物であるこのデュフューザに、直接書上げられる様には、すべての描写とすべてのモチーフのバランスが、身に付いたものにしか表現できない芸術です
手書きの薔薇は、一点一点、ことなる表現を持っています
ボタニカル・アート(植物画)の頂点をきわめ「花のラファエロ」とも賞賛される天才画家ピエール=ジョゼフ・ルドゥーテ(Pierre-Joseph Redoute)は、1759年に現在のベルギー南東部リュクサンブール州の町サン・チュベールに、三人兄弟の次男として生まれました。13才よりフランドルに画家修行の旅に出たルドゥーテは、当時大変な評判を得ていた花の画家ホイスムの作品に出会い、画家として花を描くという新しい世界に惹かれていくこととなりました。やがて23才になったルドゥーテは、装飾画や舞台装置の仕事をしていた長兄のもとで働くため、パリに移り住むことになりましたが、その仕事の合間をみては珍しい花を求めて王立植物園に足繁く通い、花々を描くことに情熱をかたむけてゆきました。その王立植物園で、後のルドゥーテにボタニカル・アーティストとしての道を開かせることになる植物学者レリチエと運命的な出会いをし、植物図譜制作の仕事に携わってゆきます。すぐにその実力を認められたルドゥーテはレリチエの推薦によって、マリー・アントワネットの博物蒐集室付画家となり、フランス革命をはさんで、さらにナポレオン后妃ジョゼフィーヌからも熱烈で惜しみない後援を受けました。特に忘れてならないのは、バラ栽培に情熱を燃やし「近代のバラの母」とも呼ばれているジョゼフィーヌが、世界各地からメルメゾン宮殿の「秘密の花園」に集められたバラをルドゥーテに描かせたことです。こうして誕生したのがルドゥーテの代表作ともいえる『バラ図譜』(“Led Roses”1817-24年)でした。その後、王立植物園付属自然史博物館の専任植物画家に任命されたルドゥーテは、ますます名声を得るようになり、王侯貴族や著名人もルドゥーテを招いて、公開授業や個人教授を望むようになりました。ことに上流の貴婦人からは「花のラファエロ」と呼ばれ絶大な人気を集め、「パリのすべての女性が彼の生徒か信奉者だ」と言われた程でした。この時期には、『ユリ科植物図譜』(“Led Liliacees”1802-16年)、『ジャン・ジャック・ルソー氏植物学』(“La Botanique de J.J.Rousseau”1805年)、『美花選』(“Choix des plus belles fleurs”1827-33年)など、彼の代表作が次々と制作され、まさしく名実ともに「花の画家ルドゥーテ」の絶頂期となってゆきました。
ところでルドゥーテの作品は、彼の天賦の才能によってだけで認められているのではなく、彼が駆使した独特の点刻彫版(スティップル・エングレーヴィング)多色刷り銅版画技法によって、従来の植物版画から輪郭線をなくし、きめ細かい色彩の濃淡により自然な花々の美しさを表現するという、画期的な手法を確立したことも、ボタニカル・アート史上における大きな功績として現代でも高く評価されています。1840年に81年の生涯を閉じるその時まで、かたくななまでに花だけを描き続けたルドゥーテの芸術は、彼の花に対する深い愛情が反映されているからこそ、時代を超えて人々の心を魅了し続けているのでしょう。